私たちは1人ひとり完璧な状態でこの世に生まれてきます。足りないものは何もありません。ただひとつだけ足りないものがあるとすれば、それは完璧な状態という記憶です。私たちは生まれた瞬間、完璧という記憶を忘れてしまいます。
なぜ忘れるようになっているのか、それは、人生を楽しむためです。生まれてからずっと完璧で何も失うものはないし、手に入れる必要もないと分かっていたら、そもそも生まれてくる必要もありません。
人生は楽しむためのゲーム
この現実世界は緻密にプログラムされたゲームです。あなたがもしゲームを買うとしたらどんな理由ですか。楽しむためですよね。でもわざわざお金を出してゲームを買う必要はありません。ですが「楽しむためだけ」その一点の理由があれば、それで十分買うに値するのがゲームです。この現実も同じです。
なぜわざわざ完璧だったころの記憶をなくすのか、すべてがある意識領域から現実世界に生まれたのか、それは楽しむため、「えっ、それだけ」と思われるかもしれませんが、理由は楽しむためだけで十分ではありませんか。
楽しむためには現実世界と制限された体が必要
この現実世界とは、あなたが人生をかけて宝(完璧だったころの記憶)を探すゲームのために用意されたものなのです。なぜゲームをしなければならないんだと思うかもしれません。それはなるべくしてなったとしか言いようがありません。
「宇宙意識、神、ソースエネルギー、可能性領域」いろいろ呼び方はありますが、「それ」の楽しみなのか、気まぐれなのか、成長なのか、何らかの意図があるのかはわかりませんが、一つ言えることは、時間も空間もなく、すべてが完璧で、始まりも終わりのないその領域では、体験や成長、楽しみや喜び豊かさなどを感じることが出来ないということです。
私一人ひとりは意識領域では認識できない体験を物質世界で感じるために存在しているのです。また、多くを体験し学び、知識を得、成長し、感動するといったことを楽しむために、完璧だったころの記憶を忘れるようになっています。
もしはじめから知っていれば、意思の疎通は難しく、体の自由には限界があり、食べなければ体調を崩し、薄い紙でも皮膚は切れてしまうような柔な身体は早々に不自由だからと、意識領域に戻ってしまうでしょう。
まとめ~あきらめないことこそ楽しんでいる証拠~
楽しむために生まれてきたのならなぜこんなつらいことばかり起こるんだと考える方もおらおられるでしょう。ゲームを楽しむ際にもなかなかクリアできないステージでは苛立ちや怒りが湧くことがあるのではありませんか。ですが、繰り返し挑戦することで必ずクリアできたはずです。感情をあらわにすることは、それだけゲームに熱中しているということです。
また、はじめからレベル99では楽しめるはずもありません。一つ一つクリアしていき、次はどんなステージなのかワクワクしますよね。クリアするのが難しくても、どんなエンディングかはわからなくても必ず最後のエンディングは存在することは知っていますし、達成感を味わえることも知っているはずです。
人生においてもこれと同じことが言えます。どんなにつらい状況で、苛立ちや怒りの中にいたとしても、それはあなたが人生に熱中している証です。あきらめないことこそが人生を楽しむということです。必ず喜びが待っているということをあなたはすでに知っているのです。
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